MisokoMasanori Official Blog

ヴォーカリスト美底マサノリの公式ブログ

ストリートライブだけでサバイバル生活した仙台の40日間

2009年3月某日、東京駅八重洲の夜行バスにて。

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お金には変えられない貴重な経験で、

この出来事があるからこそ「何があっても大丈夫」と思えるような

今でもすっごい感謝している話。

 

当時、事務所に所属しながらソロ活動をしていた俺の活動は

ストリートライブがメインだった。

 

というのも、当時の事務所が著しく経済的に厳しかった事情もあり

「ストリートライブのみで事務所の維持費と自分の生活を守る」

という暮らしをしていた。

 

ギリギリではあったけど何とか食うに困らなかったし、

事務所の経済的事情も飲み込みつつ、

俺が全部立て直してやるぜ!ぐらいの意気込みだった。

 

沖縄から上京したばかりで失うものが何もない俺は、気合いのみで生きていた。

 

1月から2月頃になると、東京でのストリートの集客はけっこう厳しかった。

寒さで人が止まりづらいし、徐々に売上は減っていった。

このままではマズい。

 

そこで事務所の人と話し合って、関東以外の地方へ遠征に行く話が持ち上がった。

当時マネージャーとかもいないんでもちろん1人。

しかも、ストリートで集客をしてハコでワンマンを成功させるという

ミッション付き。

 

その時ちょうど仙台には同じ事務所のアーティストのファンがいて、

俺を知らない人がゼロではない。

かなりカツカツだしダメだった時のリスクも伴うが、

一か八かの賭けで仙台に行ってみることにした。

 

とはいえ、仲間のファンがいると言ってもほとんど無名。

でもやるしかない。よっしゃ、やってみるか!

 

ストリートライブの機材、3日分の着替え。

それからCDの在庫をキャリーでガラガラ引いて

俺は東京駅に向かった。

 

23時半。一番安い3,900円の夜行バスに乗る。

席は一番後ろ。なかなか狭くて足を伸ばせない。

しかもトイレのちょうど向かいで、ニオイが漂ってくる・・・。

 

仙台まで約6時間。寝れんのかこれは?と心配してた俺は

次の瞬間爆睡していた。

 

 バスから降りて財布を見たら、ふふふっ。 

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翌朝 6時半、仙台に到着。

 

とりあえず寒い。ヒートテックを重ね着しるのにまだ寒い。

こんなんで今日ホントに歌えるのか?

 

まずは腹減った。

牛丼でも食べよう。

東京と食べてるもの変わんないじゃん(笑)

 

って財布見た瞬間驚いた。

所持金、560円。

 

あれ?もっと入ってたつもりだけどな。

どう数えても増えない560円。

 

サーッと血の気が一瞬引いたけど、

「絶対最高の歌を歌って、CD売る。売れるまで歌う。 

 俺は生き延びる 」

 

と言い聞かせ、

 

牛丼を食った(笑)

残りの金で、ブラックサンダーと水を買う。

あとは気合いだけで歌うには十分。

 

そして仙台駅西口の一角で、俺は準備をして歌い始めた。

運良く天気は晴れ。そんなに風も少ない。

ストリートライブで天候はけっこう重要ポイント。

 

所属事務所のアーティストのファンも何名か駆けつけてくれて

初日はなかなかの集客だった。

 

売上は覚えてないけど、その日の飯代と

ネットカフェに泊まるお金。そして翌日の飯代ぐらいはあった。

 

一瞬ホッとするが、明日も絶対売れるとは限らない。

それでも応援してくれるファンがいる。

もっともっと届けたい。

 

それから毎日6時間以上、仙台駅西口で歌った。

たまに警察の方に注意されるので逆側に行ったり、

天候が悪いとアーケード街に歌いに行った。

 

アーケード街では天然のリバーブがかかって気持ち良い。

ストリートはほんとにどこでもステージが成立する。

 

 

いろんな人と「歌で繋がっていく」奇跡。

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仙台ストリートライブも少しずつ手応えが湧いてきた。

常連で観に来てくれる人がいたり、

友達を連れてくる人もいた。

 

歌い終わった後、いきなり声を掛けられて

「いつも頑張ってるね。ハイこれ」

と、ダンディーな方からホットドリンクをもらったり。

 

こんな面白いこともあった。

 

「あ!Youtubeで歌ってた人ですよね!すごーい、CD買います」

と言ってきた女性がいた。

 

当時はまだまだYoutubeは浸透していなかったので

あの場所あのタイミングで会うなんて奇跡に近かった。

 

それから「FMたいはく」というラジオ局の人が足を止めてくれて、

名刺をもらった。

 

思わずこう言った。

「ワンマンライブをやるんですが、ラジオで宣伝させてもらえませんか?」

 

 相手は首を縦に振ってくれて、

ラジオに出させてもらうことになった。

 

仙台の人達はほんとに温かい人が多い。

 

余談だが、仙台駅付近のネットカフェ事情はだいぶ詳しくなった。

 

CDが思うより売れた日はビジネスホテルにも泊まった。

それも格安のところで、お化け屋敷みたいなボロいところ。

CDの在庫はそのホテルに郵送で送ってもらっていた。

やっぱりベッドのほうがちゃんと疲れは取れる。

 

それでも経費はギリギリで抑えたいので大半はネットカフェ泊まり。

 

シャワーは入れるが、今度は洗濯物を何とかしないといけない。

そんな時はランドリー付きのネットカフェにお世話になる。

ただ、ここの欠点はスキマ風が吹くのか寒くて寝れない(笑)

 

そしてかなり助かったのは、なんとフリードリンクならぬ

フリーフードがあるネットカフェ!

 

なんと決まった時間にカレーやラーメン、おにぎりなど

給食が出る。

 

いやほんと給食みたいに、デッカい容器を店員さんが運んできて

みんなお皿を持って並ぶ(笑)

 

この光景がめちゃくちゃシュールなのは置いといて、

1人1人の器に店員さんが食事を取り分けてくれるっていう。

何この特別待遇。これもまさか仙台だけ??

 

CD売れなければ死ぬような生活をしてるのに、

なんだかんだ楽しかったなぁ仙台。

 

40日間で得たもの

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こうして、ストリートライブとネットカフェを往復しながら

とうとうワンマンライブ当日。

 

毎日ビラを手配りし、いろんな人の助けがあって

キャパは50人と少ないものの満員御礼の大成功となった。

 

その後、きっちり売り上げたお金でまた東京に戻った。

今度は所持金が560円の何倍にもなっていた。

 

仙台という場所は今後も一生忘れられない土地になるだろう。

 

仙台で得たもの。それは、

 

「タフさ」「感謝」「負けない覚悟」

 

この経験はお金を出しても買えない貴重な経験となった。

 

 

事務所とはその後、経営方針のことで仲違いし俺から去った。

疎遠になってしばらくしてから、潰れたという知らせを聞いた。

 

でも俺はずっとずーっと、

スタッフと社長に感謝の気持ちを言えてない。

 

言えてないから、この場を借りて言います。

 

仙台でのサバイバル生活は一生忘れない僕の財産です。

活動は辛いこともたくさんあったし、社長に暴言吐いてぶつかったりもしました。

あの後僕は一度音楽から完全に離れましたが、

「何があっても大丈夫」と心から言えるようになりました。

 

まだまだ未熟ですが、あなた達のもとに

僕の歌声が届くぐらいデカくなってやります。

本当にありがとうございました。

 

おわり

 

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